御 教 歌

 

           いやなりと 止(やめ)にするのは 誰もする 

                           堪へてするが 稽古也けり

 

  *)               つとめよや いかなることも かなふべし

           あめのしたたり いしをうがてば

 

「点滴石を穿つ」という格言があり、柔らかい雨のしたたりも、同じ処に始終落ちていると、やがては硬い石に穴をあけるように、信心は繰り返し続けていくことが大事です。

 

もう嫌だと思うことを堪えて続けるから稽古であり、そこに上達の道、成仏の道があると仰せの御教歌です。

 

有名な豊臣秀吉と落語家の曽呂利新左衛門にまつわる、こんな逸話があります。

秀吉が「欲しい物を与えよう」と言ったので、新左衛門は「一日目は一文、二日目は二文…と倍々に下さい」と申し出ました。秀吉は「何だ、そんなことか」と 思いましたが、実際計算してみると、十五日目には一万六千文、三十日目には四十八億文となり、秀吉は参ったというオチです。

 むかし、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)という人がいました。豊臣秀吉のおそば近くで、話し相手などをつとめていました。たいへん頭のいい人だった そうです。

ある時、秀吉はたいそう新左衛門をほめて、ほうびを与えることにしました。

ところが新左衛門は大金などほしがらず、お米を1粒ほしいと言いました。ただし、きょうは1粒ですが、明日はその2倍の2粒、3日めはさらに2倍して4粒…というように毎日2倍して、一ヶ月間続けてほしいと言うのです。

なんと欲のないこと!! 秀吉はとても喜んで、その申し出を受けいれました。

ところが! 日を追うごとに秀吉が新左衛門にあげなければいけないお米はどんどん多くなっていきました。

10日めには512粒。15日めには16384粒。20日めには524288粒。

このままいくと約束の30日めのお米は 536 868 864粒で、1日めから30日めまであわせると、米俵で450俵、石高で180石になってしまいます。

*)一合はお米約6500粒 一升は65000粒

米一合は約150g 一升はその10倍 一俵は一升の約40倍

ちょっとしたほうびのつもりが、こんなにたくさんのお米をあげることになってしまうとは!! 気づいた秀吉は新左衛門にあやまって別のほうびに代えても らったということです。

 

この話は、最初は大したことはなくても、続けていくとある時期から大きくなるように、私達のすることも続けていけば、いずれ大きな成果が生まれるようになるのです。 

 

ですが凡夫の私達は、大したことない段階で「あゝダメだ」とヤメテしまいがちです。実はそこが辛抱のし所。

最近は仕事や勉強で自分に自信が持てない若い人も多いと聞きます。

 

ではその自信は一体どこから生まれてくるのでしょうか。ある本には、「どんな小さな事でもいいから続けてやり続けることで自信が出てきます」とありました。

つまり自信が持てないのは、自信を持つ手前で挫折する・中途で投げ出してしまうからです。

ですからいつまでたっても自分に自信が持てない。自信が持てないから人生パッとしなくなるのです。

俗にいう「継続は力なり」ですから、自信も「続ける」ことで獲得できると知ることです。

 

一粒万倍

・ひと粒の種を蒔けば、それが増えて一万倍もの収穫があるということ

・わずかな元手から多くの利益を得ること

・ひとつの善い行いが、やがて多くの恩恵が受けられることになること

・小さなものが非常に大きく成長すること

また、少しでも粗末にしてはいけないという戒めをも表します

※稲の別称でもあります

『報恩経』より

「世間利を求むるは、田を耕す者より先なりはなし、一を種えて万倍す」とあるのに基づいています

 

 

御指南

 

「口唱少なければ身に罪障おこる、悪(わろ)き心起こる。我が罪、我を責むる也。」

 

「疑ひ有りても声を惜しまず口唱する人は、疑ひと信心とを此の人の一心の上にて校量すれば、疑ひは負けて信心の方勝ってあればこそ口唱する人也。

半信半疑とは異なり。

これは信と疑とがすもう取って信の勝ちたるなれば、末法にては此の人をよき信者と申す也。」

 

「いか程考へ学び候へども、口唱信行より外に我も助かり人をも助くる道は更になき也。

仏の大慈大悲は此の一行也。

口唱少なければ身に罪障起こる。悪き心が起こる。我罪我を責むる也。御用心御用心。

口唱多ければ万事成就す。二世安楽也。」