まこと

 

御 教 歌

 

まことほど よきものはなし そのときは

 

しれねどつひに あらはるるなり



 

仏立開導日扇聖人仰せ下さった御教歌です。

この御教歌はご信心は「まこと」の心でさせていただく事が大事・大切であり、そこに間違いのない現証・御利益がはっきりと顕われてくるのである。 

 

と仰せの御教歌です。

さて、この御教歌の上の句に「まこと」と仰せですが、この「まこと」ということはどういうことなのでしょうか?

広辞苑によれば、

事実の通りであること。うそでないこと。真実。ほんとう。偽り飾らない情。人に対して親切にして欺かないこと。誠意。

等とあります。

そんな事アリキタリの言葉ではないか。と思われる方が多いのかもしれません。

でも、アリキタリの言葉「まこと」・・・ この真実味のある生き方を、実際行なっているかどうかが大事なことです。

例えば、本音と建前を要領よく使い分けたり、嘘も平気、己の為だったら、人も陥(おとしい)れる。

また、表面上では、さも聖人・賢人かのように「人の道・仏の道」を滔々(とうとう)と説いているのに、裏での行いは「人どころの道」ではないような言動・行動をしている人が、少なくとも私の周囲で見かけました。

仏道修行を志している人が、人様から後ろ指を指されるような所作振る舞いでは「信心」しているとはいえませんし、まことの仏道とはいえないのです。

本日の御教歌に戻ります。

        まことほど よきものはなし そのときは

 

          しれねどつひに あらはるるなり


「まこと」の心で信心をさせていただくとは、「する」のではなく「させていただく」のです。

それも、まごころをもって、精一杯。

そこには嘘も何もない、あるのは真実・ありのまま、だから自分を飾らないし飾れない。

ありのままだから、もし知らずはからずの嘘があったり過ちがあったりしたら、直ちにお懺悔(さんげ)をさせてもらう。

そしてご法様(ほとけ)に絶えず自分の心の内まで見ていただく、嘘・偽りがないかどうか、実直な生き方が出来ているかどうか。

それは信心面だけではなく、日常生活・社会生活のなかに於いても、です。

御祖師様 御妙判に

 『真実を 真実に行ずれば 真実があらはるる也。』

と仰せ下さっておられます。

真実のご法様(ほとけ)、並びに仏のみ教えを まことの心をもって行ずれば 必ず真実の証である、現証・御利益が顕れる。

 

とこのように仰せです。

「信心」をさせていただく・・・ということは、まごころをもって、真実味のある生き方をさせていただくことで、単なる「綺麗事の信心」ではいけません。

本心からの、そしてご法様(ほとけ)に対して、仏のみ教えに対して素直・正直な「ご信心」をさせていただくことが、まことに大事・大切なことです。

そのことを仰せ下さった御教歌でございます。