やさしい教えに

御 教 歌

 

むつかしく わかりにくきを やわらかに

 

かなに教ふる 宗旨也けり

 

 

 仏様の深く難しく、わかりにくいみ教えをやわらかく、やさしく教えていくようにするのが宗旨であることを仰せの御教歌です。

 

なるほど、仏様の教えというものは非常に深く難しいものです。

 

また、聞きなれない言葉が出てきたり、初めて見かける文字が出てくるものです。

 

初めて仏の教えに触れていくわけですから、そうだと思います。

 

その深く難しい教えをやわらかく、やさしく教え導いていくのが僧侶の務め・ご奉公です。

 

そのために、僧侶は常日頃から、教えを身でよむ稽古をし、教学をも学びそのことを人々へやわらかく、やさしく噛み砕いて教え導いていく修行をしていくのです。

 

それが慈悲の修行にもなるのです。

 

難しいことをより難しく説くことは、自分自身の教養の高さを示すことにはなるかもしれませんが、慈悲の修行にはならないのです。

 

御指南に

 

「教彌実位彌下(きょうみじついみげ)の六字と」

 

とあります。

 

これは、

 

「教えいよいよ実(じつ)なれば位(くらい)いよいよくだる」

 

と読みまして、

 

教えが尊ければ尊いほど、真実であればあるほど、位がいよいよ下るで、末端の人々まで救っていただけるのである

 

というお心なのです。

 

尊い教えをいただいていればこそ、人の心に下りていきそこから共に這い上がろうとすることでもあるのです。

 

では、その姿を誰が示していくのか?と申しますと

 

僧侶自身です。

 

そこにみ教えのありがたいこと、尊いことが伝わっていくのです。

 

その修行が「教彌実位彌下(きょうみじついみげ)」なのです。

 

そのひとつの修行の姿として本日の御教歌にありますように、

 

 

むつかしく わかりにくきを やわらかに

 

かなに教ふる 宗旨也けり

 

 

このように仰せです。

 

 別の御教歌に

 

 

むつかしい 法門をして ゑらばるを

 

仏祖諸天は きついお嫌ひ

 

 

 このように仰せです。

 

このことを心にとどめて法門(仏様のおしえをそのまま説くこと)させていただくことが慈悲の修行となるのです。

 

そのことを仰せの御教歌です。