僧侶の資格

 

御 教 歌

 

けさころも 人を助くる しるしなり

 

法をとかねば 施物(せもつ)ぬす人

 

 

 袈裟(けさ)・衣(ころも)は人を助けるというしるしなのであつて、法をそのまま説かない、人も助けないのであれば、施物(お供えもの)を盗むだけの人ではないか・・・

 

  このように仰せの御教歌です。

 

僧侶が身にまとうのが、袈裟・衣であります。

 

その袈裟・衣は何のために身にまとっているのか?と申しますと、それは「人を助ける」というしるしなのです。

 

「人を助けてよろこぶは菩薩なり」です。

 

菩薩とは自分のことで喜ぶより、人をたすけ人が良くなることを我が事のように喜ぶ人のことです。

 

その菩薩としてのご奉公を行じていく姿のしるしが、袈裟・衣なのです。

 

その袈裟・衣を身にまといご奉公していく者は、菩薩としての自覚を持ち、自ら人を助けることに懸命になり、苦労していく。そして人が良くなることを我が事のように喜び、そのよろこびを伝えていくのです。

 

その姿に人は敬いの念を抱きお供養を申し上げるのです。

 

逆に、袈裟・衣は立派だけれど、言う事とやる事が違うようであるならば、それは「法を説く」ふりをした施物盗人なのです。

 

御祖師様(日蓮聖人)は

 

「謗法(ほうぼう)の施(ほどこ)しは許さず」

 

と仰せで、

 

「仏の道も行じようとしない、ましてや人の道から踏み外れた者に布施・供養をしてはいけないのである。

 

そういう者を助けようとすること自体が、共々に罪障(ざいしょう・業ともいいます)をつくることになる。」

 

ですから、同じ功徳を積むのであれば、その袈裟・衣に積むのではなく、菩薩として自覚を持ち「人助け」のご奉公を真剣に行じている者にお供養を申し上げていくことが大切なのです。

 

私自身もそのことを肝に銘じ、「人助け」のご奉公を真剣に行じていかなければなりません。

 

そうでなければ、お供養をいただく資格がない「施物盗人」となる訳ですから・・・

 

また、菩薩としてのご奉公を真剣に行じていく者を通じて法は流れていきます。

 

もともとの清らかな流れが・・・

 

そういう者が「法を説く」資格のあるものである、と言っても過言ではないと思います。

 

本日の御教歌にもとづいて、お互いの信心を振り返ることは大切なことだと自覚しているこの頃です。