出来そうなことから

 

御 教 歌
 
出来さうな ものからしやれ 稽古事

むつかしいのは あとへまはして

 

 

  何事も出来そうなことから手始めにしていき、難しいことはその後にしていくことが稽古事としての基本であるように、信心もまず出来ることから実際に行じていくことが、大事・大切なことであることを仰せの御教歌です。

ことわざに

「千里の行(こう)も足下(そっか)に始まる」

とありますように、千里の道のりもまず第一歩から始まり、どんな大掛かりな事柄でも手短な、し易いことから着実に踏み進むことによっつて成就していくのである ということです。

どのような道でもまず第一歩があり、手始めにし易いことから始めていく事によって、やがては難しいことも行じていけるようになるのです。

御指南を拝見いたしますと

「本 因妙(ほんにんみょう)とは譬(たと)へていはば小児の初めて手習(てならい)をするに、いろはの如し。このいろはを習はずしては一生終る迄さしつかへあ り。本果(ほんが)は仕上げなり。この本果にいたらんとするに、はじめてのいろはの行(ぎょう)をせざればこの果には至りがたし。」

「仏になる修行は、例えば、子供が始めて字を習うのに最初 い・ろ・はから教わるようなものであり、この基本を習わなかったら、字の上達に生涯差し支えがあるものである。
このように仏になる道にも、い・ろ・は にあたる因(もと)の修行をしなければ、道は成就しないのである。」

このように仰せで、因(もと)の修行をしていく上においても、まずし易い事から行じていき、それから段々と難しい修行に入っていくのです。

この仏になる道は
 
「千尋(せんじん)の巌(いわお)のいただきは、一足(いっそく)も歩むことかたし」
 
と云われていますように、岩だらけの険しい山頂には登ることが非常に困難なように、仏になる道は困難な道なのです。

ですから、本日の御教歌でお示しくださっておられますように、出来ることから、し易いことから行じていくことを仰せです。

けれども、やみ くもにし易いことから、出来ることから・・・というのではなく、仏道修行の目的をしっかりと捉えていき、そのためにはどうするべきか・どのように修行をし ていくことが大事なのかを、ちゃんと捉えた上での「出来る事から・し易い事から」行じていくことが、大事なことです。

信心は浅きところから段々と深きところへ入っていくのでありますから、最初から深いところに入ることも無理なことでしょうから、浅いところから、出来る事から、し易い事から行じていくように心がけていくことが大事なことです。

そのことを仰せの御教歌です。