阿那律(あなりつ)
み仏の をしへのままを まもるをば
信心といふ 事としるべし
仏様の教えそのままを守り、行じていくことこそが「信心」であることを心得ていくことの大事さを教えていただいた御教歌です。
仏様の教えのひとつに次のようなお話があります。
それは
仏様の御弟子に阿那律(あなりつ)という方がおられました。
この方は、仏様のご説法中に居眠りをしてしまったのです。その時仏様から
「尊い話というものは、聴く側にしたら有り難く、楽しみでなければならぬのに、居眠りをするとは何事ですか、何のために出家をしたのですか!」
と叱責されたものですから、その日を境に、一切の睡眠を断ち切る、という修行をしていかれたのです。
睡眠不足から視力が段々衰えていくのですが、一向に止めようとしない阿那律に対して仏様は、
「やりすぎるのも体のために良くはないのだから止めるように」
というお言葉にも
「誓いを立てたのだから」
と頑なに守っていったのでした。
その結果、とうとう目が見えなくなったのです。
ある時、阿那律は自分の衣のほころびに気づき、針に糸を通そうとするのですが、通らないのです。途方にくれた阿那律はこう言いました。
「どなたか私のために針に糸を通していただけないだろうか?功徳(仏になる因)を積んでいただけないだろうか?」
すると、ひとりの方が
「どうかその功徳、私に積ませて下さい。」
と言うのです。
ヨクヨク声を聞いてみると、その方はナント仏様ではありませんか・・・
ビックリした阿那律は
「とんでもございません。仏様にそのようなことをしてもらっては勿体ないです。」
と言うと、仏様は
「功徳というものは、積んで積みすぎることはないのです。その積んだ功徳は、自分自身のためではなく、ありとあらゆる衆生(しゅじょう)のためにもなるのです。」
このように話されて、針に糸を通された後、阿那律の衣のほころびまで縫われたのでした。
このようにして「功徳」というものは積んでいくのである、ということを自らがお手本となって示していかれたのです。
仏様の教えをそのまま受け継いで「させていただく信心」であれば、このように自らが功徳を積むことを真剣に行じていかなければいけないのです。
という御教歌もあります。
このご信心は「功徳を積む」信心であり、そのことが仏様の教えを守っての信心である、ということがいえるわけですから、そのことを心得てのご信心をさせて頂くことが大事なことです。