仏教のながれ

 

 仏道修行といいましても、何が仏さまの教えであり・どのような修行をしていくのかが、分かりづらいのかもしれません。

 

 

そこで、ごく簡単ではありますが、仏教の流れをお話してみたいと思います。

 

 

仏さまが、私たちに説かれた教えは、一言でいいますと「成仏の教え」です。

 

 

仏さまが50余年間、ご説法をされた中で、「成仏の教え」を説かれたのが「法華経」です。

 

 

その仏さまの教えを研讃して、「法華経」の中に仏のご本壊(おこころ)が託されてある・・・ことを論じられたのが、中国の天台大師(西暦538~597)という方です。

 

 

お経文に於いても証文が示され(教相判釈)、法華経の優位性を示され、仏さまの最も重んじられた経ということが明瞭になっていき、当時は、「天台法華宗」という宗に統一されたようです。

 

 

やがて、その法華経が日本に伝来してきます。

 

 

殊に、聖徳太子は、法華経の精神を政治の根本理念とし「十七カ条の憲法」を定められたことは、周知の通りで、法華経は他のどの経よりも多くの民衆に尊ばれ・重んじられたのです。

 

 

また、平安初期の時代には、垣武天皇に信任されていた伝教大師(最澄)が、遣唐使として中国へ赴き、帰国後天台法華宗を叡山に開かれたのです。

 

 

当時、公家より一般民衆にいたるまで、深く法華経を尊信し、一時的には法華経信仰一色だった・・・といっても過言ではないくらい、日本人の生活の中で生き続け、思想・文化に大きく及ぼしていったのです。

 

 

平安時代末期になってきますと、弘法大師の真言密教が著しく台頭し、叡山も密教思想に及ぼされ、弘法大師の「東密」に対して天台の密教「台密」といわれるようになり、法然上人の浄土宗が起こり、この頃の叡山は「朝題目に夕念仏」といった姿を露呈するようになっていました。

 

 

そして時代は鎌倉時代へと移っていくのですが、当時の信仰体系は、念仏宗・禅宗が主流であったと同時に、律宗が台頭してきた頃です。

 

 

この時代に、聖徳太子・伝教大師(最澄)の理想を継承して、法華経の精神を伝え・弘めていかれたのがお祖師様(日蓮聖人)です。

 

 

この法華経を、中国の天台大師が哲学的に研讃されたのに対して、お祖師様(日蓮聖人)は、どこまでも信仰として讃嘆していかれたのです。

 

 

そのお祖師様の教えを基盤として短歌にして詠まれた方が、長松清風(江戸後期~明治)というお方で、この短歌を「御教歌」と呼ばせてもらい、現在に至るまでご指南とさせていただいています。

 

 

仏さまの目的・お心は、私たち凡夫が人らしい心の持ち主とならさせていただき、人を大事に・人の立場で物事を捉えていける、敬いのある・そして慈悲のある円満な人間性が出来ていくことに重きを置かれ、その姿を「修行成仏」と云われております。

 

 

その目的を見失うことなく、恋慕渇仰の境地で精進していきたいと思っています。